ピュアネット京都有限会社はグローバル時代の営業と国際会話を支援するサービス会社です。

TEL.080-5349-2433

〒607-8075 京都府京都市山科区音羽野田町7-5

ブログ
ピュアネット京都有限会社に関する情報をお伝えするブログとなっております。

ブログ一覧

山科別院長福寺を行く

TS3O0503 TS3O0504

我が社(マンション)より歩いて6分ほどの距離に、今回ご紹介する山科別院長福寺があります。

晴れてる間に行きたかったのですが、散策中にまた雨が降り出し、写真の一部が見にくくなってしまったこと大変申し訳ございません。

TS3O0505 TS3O0507

非常に静かな場所で、ベンチもあり、晴れていたら少し座って、違う方向に考えが行き着いた時などによく訪れます。

TS3O0508

すこしゆっくりしていたら、お寺の門が閉まる17時をすぎてしまい最後に撮った写真が上の写真です。

戦国時代の山科に一つの拠点をお作りになった、蓮如上人像が奥の左手側にあります。

1997年4月に京都に移り住んでから17年。山科の戦国時代を取り上げてきましたが、多くの足あとがありました。

我が社もこの時代に何を残せるのか。そんな事を考える祝日でした。

山科 蓮如上人御廟所をゆく

TS3O0491 TS3O0492 TS3O0493

今回は山科にあります、蓮如上人御廟所について紹介いたします。前回話しました、山科本願寺による寺城を作った蓮如上人です。

若宮八幡宮に大津皇子、粟津王によって山科が最初に発展したように、また戦国時代に寺城を作った山科において重要な人物です。

TS3O0500

上の写真の通り、境内は静かで山科郵便局へ行く道の途中にあります。今日は雨ということもあって、殊のほか静かだったように感じました。

TS3O0499

また境内には樹齢何十年、百年に到達しそうな木々もあり、御廟所にふさわしい静かで神聖さを今に残す場所です。

 

再び新緑の疎水へ

CA3C0669 CA3C0670

ゴールデンウィークの2日目、2014年4月27日日曜日、昼前に四宮から一燈園へと坂を登る。一燈園に向けて、疎水にかかる橋の上から西を向いて一枚。ほぼ中央を向いて上に紫色の花をいただく木が見えるが、これは桐の花。ちょうど今頃山を望むと、こうした紫の塊が見える。今どきは桐、もう少しすると藤の花。桐は紫の花をいただき、藤は紫の花を房のようにさげる。3月から5月にかけて山を眺めると、3月の中旬に彼岸桜、山桜、里のソメイヨシノ、青もみじ、赤紅葉を経て八重桜、桐、藤と目を楽しませてくれる。

上の方に桐をいただく写真の下には、疎水の四宮船だまりが見える。この船だまりの先は西へ向けて諸羽トンネルとなっている。元々疎水には第一から第三まで3つのトンネルがあるが、この諸羽トンネルは昭和40年代、琵琶湖の西を行く湖西線を新設した際に、四宮船だまりから尾根沿いに伸びる疎水を回避させてトンネルにしたことで、昭和に入って追加された第一と第二の中間に出来たトンネルである。そして、尾根沿いの旧疎水は今は遊歩道となっている。その遊歩道の入口にジョギングコースの紹介がある。

CA3C0671

この遊歩道の先にあるジョギングコースを、安朱三角橋を過ぎて洛東高校の前を南に下ることにする。

CA3C0673

上の写真は多分、安朱三角橋と思うのだが、親柱には安朱橋とだけあった。

下の写真は、安朱橋の先にある毘沙門堂(付近観光案内図内、中央上部)を案内している。

CA3C0672

次の写真は、疎水の北側にある洛東高校の校門付近を写している。

CA3C0674

下って行くと、家々に季節の花が咲いていた。ハナミズキや懸崖仕立ての見事な黄色いバラ。

素敵な小一時間。

 

CA3C0676CA3C0675

史跡 山科本願寺南殿跡をゆく

TS3O0479 TS3O0481

ブログを書かせて頂いております。ピュアネット京都の代表に変わりまして、今回は私が更新させて頂きます。

さて今回は、昨日更新しました山科の若宮八幡宮の近辺(若宮八幡宮から見て北西に位置)にあります山科本願寺南殿跡を紹介させて頂きます。

上の写真の地図をごらんください。現在NHKで放映されています大河ドラマ「軍師 官兵衛」の時期に実際に存在した寺城です。

「軍師 官兵衛」に登場する黒田家という小さな家を必死に主人公が守っていく姿は、「守る」ことの大変さを知るいい機会となりました。

本格的に始動してから一年少し。「軍師」に学ぶことは多いと、代表は筆者によくおっしゃいます。今よく学び、そしてそこから何に繋げていくか。それが大切な事だと感じた写真でした。

TS3O0480

山科の若宮八幡宮

TS3O0485 TS3O0486

京都に越してきたのは1997年3月のこと。まもなく子どもたちが上のほうが小学校、下のほうが年長組に入るというので初めての家族海外旅行ハワイ。帰ってきたら、大阪への辞令が待っていた。

すぐに住居を定める必要があり、弟夫婦の住んでいた京都市山科区音羽学区に決めた。数カ所下見をして決めたのが、エーデル音羽。近くには若宮八幡宮社があった。

初めての秋祭りには、弟の世話で神社出し物の綱ひきの一員にしてもらった。聞いた話だが、日本の神社は相互につながっており、どこでお参りしても同じ、どこで戴いた御札をどこでお返ししてもいいと聞いた。以来私は融通無碍に土着宗教神社を楽しんでいる。お陰で山科に馴染むのが少しスピードアップ。

多分1000年の都、京都に近いだけあって神社仏閣が多い気がする。若宮神社以外に訪ねたのは、諸羽神社、大石神社などである。物語や由緒に富む神社仏閣に事欠かない。

TS3O0483

山科の若宮八幡宮には、大津皇子と粟津王の供養塔があります。